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□吉原治良賞記念アート・プロジェクト2008について□


「吉原治良賞記念アート・プロジェクト2008」は、戦前における前衛美術の草分けであり、また戦後には大阪の具体美術協会の代表として大きな足跡を残したアーティスト・吉原治良氏を記念して1980年に創設され、以降ビエンナーレ(隔年)形式で開催されてきた「吉原治良賞美術コンクール」を、氏が重んじた冒険や実験性を、アートがさらに追求する機会となることを目指して、2006年にその内容を刷新したものです。

2006年の公募により選考された5組のアーティストと2名アート・コーディネーターは、2007年の6ヶ月間に渡り展覧会やレクチャーを協働で開催し、アーティストはその取り組みの中でブラッシュアップした計画書を提出します。その計画書を元に最終選考されます。 最終選考されたアーティストとアート・コーディネーターは、2008年度の1年間に渡って実際に計画を実施し、様々な表現の可能性を広げていく実践的で進行形のアート・プロジェクトです。→[一次審査:審査員講評]


2007年12月、厳正な審査の結果、その大賞アーティスト・プロジェクトにはcontact Gonzo:[project-MINIMA MORALIA]が決定。そのプロジェクトのアート・コーディネーターには山本麻友美が選ばれました。→[about:MINIMA MORALIA]→[二次審査:審査員講評]

contact Gonzoと山本麻友美は、2008年の1年にわたって[project-MINIMA MORALIA]に取り組み、その成果は2009年2月11日~2月20日まで、大阪府立現代美術センターで「the modern house -或は灰色の風を無言で歩む幾人か」として発表されました。

その開催後、3年にわたる取り組みの記録を纏めたドキュメントを制作・発行し、「吉原治良賞記念アート・プロジェクト2008」は終了した。


→アート・コーディネーター総括:山本麻友美「around the world through"contact Gonzo"」

→審査員総評:今井祝雄「大阪発アートの未来形」

→審査員総評:中塚宏行「吉原とグタイの精神はcontact Gonzoでどのように継承されたのか」


2007年1月に開催された入選展の様子、2007年4~9月末までの[studio]での活動はこちらのページをご覧ください。

第一次審査により選考された、参加アーティスト・アートコーディネーター

一次審査:審査員講評

建畠 晢(国立国際美術館・館長)

今回の吉原治良賞はアートプロジェクトのプランを募集するという、大胆と言えば大胆な方針転換を行った。この異色のコンペの第一次選考に残った五つは、いずれもかなりユニークなプランである。オブジェ、映像、写真、インスタレーションからパフォーマンスまで、それぞれに性格は異なっているが、広い意味でのコンセプチュアルな意図を潜在させているという点では通底しているようにも思う。キュレイションの意欲を喚起させられるものも少なくない。次の段階でどのようなプレゼンテーションがなされるのか、楽しみに待ちたい。

 

今井 祝雄(美術家、成安造形大学教授)

「見せへん」と書かれ、何かが入った平べったい木箱。「見たことのないものを創れ!」が口癖だった師・吉原治良が、かつて芦屋市展で推した唯一(?)見えない作品である。一新した吉原治良賞の審査は極めてスリリングであった。実作でなくプランと資料で、入選展の先のプロジェクトまで睨んだ判断が求められるからだ。一部を除き多くに割れた表を絞りこむ過程で、同賞プロジェクトの狙いがかなり浮かび上がってきたようだ。私は良くも悪くも予想が困難でも、リスクを恐れず見てみたいと思う未知の作品提案を優先した。木箱の中身は問題ではない。

 

芹沢 高志(P3 art and environment・エグゼクティヴ ディレクター)

表現行為の最終形として完成された「もの」だけでなく、そこに至るすべてのプロセスを「作品」としてとらえる姿勢をプロジェクト型のアートと呼んでみるなら、今回求められた作品もこうした種類のアートであったと言えるだろう。この試みは時代的な意味を持つと思うが、第一次、第二次に分かれる選考過程は少し複雑で、応募するアーティストたちに戸惑いもあったと思う。審査もまた単純にはいかず、投票とディスカッションを繰り返すスリリングな展開となった。各プランがどのように成長していくかと考えるか、これは審査者の想像力が試される審査でもあり、作品と審査という関係そのものが揺らぎはじめた状況がとくに面白く感じられた。

 

住友 文彦(横浜国際映画祭2009・ディレクター、特定非営利法人アーツイニシアティヴトウキョウ副理事)

おそらく表現形式を絶えず再定義し続けることの大切さをよく理解していた吉原治良の名前を掲げた同賞が、こうしたリニューアルに挑んだことにまず拍手を送りたい。今回選ばれた5名(組)は、手法も実績も異なるアーティストたちになったが、いずれも、社会を不確定さに満ちあふれ、多様なものであるととらえることで、自己完結せずに外部との接点を表現に取り込む可能性に開かれていると考えられる。第一次審査から第二次審査が長く、その間にスタジオという場をどう使いこなすのかという提案が少なかったことはやや残念である。そこで起きる変化にどう反応しながら展開していくかに期待したい。

 

中塚 宏行(大阪府立現代美術センター・主任研究員)

ホワイトキューブ内に快適・美的空間を作り上げる方向の作品を、仮に自律、自足、展示系、美術作品と呼ぶならば、美術展示空間内での展示にこだわらず、外部との関係や状況、社会などに広く働きかけるアートを開放系、プロセス重視、社会系、アート・プロジェクトと呼ぶことが可能であろう。

 審査では、前者も広い意味でのアート・プロジェクトと認めたうえで、どの作品が今回のプロジェクトにふさわしいかについては、個々の審査員の判断に任せられた。審査結果は完成度の高い、安心感のある現代美術の典型的作品よりも、先鋭的(ラディカル)で、実験的で、危険(リスク)のある、混沌とした、未知の可能性に賭ける方向にアクセルを踏んだといえよう。その選択が奏するかどうかはひとえに、選定された作家、グループの今後の活動と展開次第である。


二次審査:審査員講評

建畠晢(国立国際美術館・館長)

5つの案は、それぞれにユニークで、正直なところ、一つには絞り難かった。最終的にcontact Gonzoを推すことにしたのは、パフォーマンスの世界に新たな可能性を切り開いた姿勢の強靭さと、インプロビゼーションの内に社会と個人との関係を捉えようとする思索の鋭さを評価したからである。フィンランドでのイベントを実施するにはさまざまな条件をクリヤーしなければならないだろうが、コーディネーターとの息の合ったコラボレーションに期待したい。山本握微の運動展は、プロジェクト自体には未知数のところが多すぎるが、企画書は実に興味深いものであった。彼の平明でありながらも不思議な間合いを持つ言語感覚には、大いに魅せられる。賞は逸したが、今後の活動の方向は注目されるべきであろう。

    今井祝雄(美術家、成安造形大学教授)

    第1次審査から第2次審査までの一年間、作家によっては表現上の振幅がみられた。もとより"いい仕事"の品評会ではなく、活動の過程を評価するのでもない。それぞれ異なる形式・方法・スタンスだから比較が困難で、それぞれのプロジェクトのもつ進行形ないし未来形をいかに捉えるかという審査であったように思う。私自身、絞った二者択一を迫られたとき、グタイ創成期の吉原治良先生ならどう判断されたかと、ふと頭をよぎった。
    結果、contact Gonzoの可能性に賭けるような受賞となった。「吉原治良賞記念アートプロジェクト2008」が彼らの大阪発いや日本発、世界行きの始発となり、そこに立ち会えたことの喜びとともに若干の責任も感じる。あわせて、ほぼ同世代の5名(5組)が、入選展のあと6ヵ月間展開した[studio]における体験や、そこで生まれた絆がよりよい形であらわれるとしたら、それもまた同賞の成果といえるだろう。

      芹沢高志(P3 art and environment・エグゼクティヴ ディレクター)

      今回は、各アーティストが[studio]での活動ののちにまとめた計画書をもとに、最終審査を行ったわけだが、提出された計画はどれも、それぞれの個性を強く匂わせるものとなっており、その意味で、今回の「吉原治良賞記念アート・プロジェクト2008」の試みには大きな手応えを感じるものがあった。表現ジャンルもそれぞれだし、ある意味で甲乙つけるのは難しいのだが、それでも私は、自分の1票をcontact Gonzoの計画に入れた。既存のアートの領域を(無謀にも)逸脱していく可能性を感じ、その軽やかさに賭けたいと思ったのである。あと、本プロジェクトには、「コーディネーター」の存在がある。計画があまりに完結していると、コーディネーターは創造的な関与ができないが、contact Gonzoの計画には良い意味での余白が多く、その点も評価した。今後、コーディネーターとの協働関係を十分に築いていってほしいと思う。

        住友 文彦(横浜国際映画祭2009・ディレクター、特定非営利法人アーツイニシアティヴトウキョウ副理事)

        プロジェクトと呼ばれるような表現行為の多くは、モノとして残されていく部分よりも、その実践プロセスが重要視されます。そうした一過性の行為を持続させていくには困難も多く、吉原治郎賞が支援をする意義は大きいと考えています。今回受賞をしたcontact Gonzoは、ダンスの分野に属するアーティストかもしれませんが、舞台から外へ出て行き、そのひりひりするような〈痛み〉の表現が現実社会と接点を持つ提案を高く評価しました。これは、形式的に分類化された表現を回避しつつ、身体表現とそれを記録するメディアによって、特定の場における社会や歴史が顕在化される可能性があると考えました。個人の表現が社会と大きく関わると、たいがい不確定な出来事が生じます。そのことによって、従来の表現方法が大きく拡張されていく期待をこめて、彼らのプロジェクトの実現を見てみたいと思います。

           

          中塚宏行(大阪府立現代美術センター・主任研究員)

          物質的な存在感や映像メディアの利便性、言語の表現力に寄りかかることなく、できる限り夾雑物を排し、「痛みの哲学、接触の技法」を身体のみで表現するという、きわめて禁欲的(ストイック)な表現の純度と強度を保っている Contact Gonzoに軍配があがった。
          パラモデルは、東大阪の町工場との協働、ものづくりの視点、社会性、一般性、おもちゃ(玩具)という親しみとわかりやすさ、美術の文脈、実績と安定性といった点で、第1回吉原プロジェクトの受賞にはおさまりが良いと思われたが、そのわかりやすい戦略とはうらはらに、逆に芸術表現としての思想の掘下げと理念の強度に懸念があったのか、また現実の中小企業の生産現場との関係性において、アートの領域に寄りかかれる技術の甘さが見え隠れしたのか、あるいは既に内外で人気ユニットとして活躍の場を広げつつあるパラモデルに対しての批評のレベルが、以前よりもより厳しくなりつつあるのか、審査員の多くの共感を得るには到らなかった。
          また、山本握微の計画書「運動展2008」にみる独特の文章表現、夢をみる夢の出版計画、藤井光の芸術裁判への果敢な挑戦も、それぞれに捨てがたい魅力を発散していたが受賞に到らなかった。
          物質、言語、書物、映像、法律といった既成のシステムとメディアの虚妄に敢然と立向かうGonzoの身体の勝利である。


          アート・コーディネーター総括:

          山本麻友美「around the world through"contact Gonzo"」

          「Minima Moralia」はテオドール・W・アドルノという哲学者の著作タイトルから取られている。アドルノが言うように「混沌を秩序の中に持ち込むことが今日における芸術の課題」とするなら、contact Gonzoはその忠実な実践者であると言えるだろう。

          contact Gonzoの最終プラン[project MINIMA MORALIA]は、世界中の都市の中でも歴史的あるいは視覚的、物理的に重要な背景を持つ場所を実際に訪れ、都市に対する彼らなりの敬意を表明し、彼ら なりの方法でコンタクトを実践することからはじまった。そこでの記録を、映像、写真、断片的なテキスト、道具や「知」として持ち帰り、個人の記憶として生 身の傷や痛みを抱えながら、再構成、再構築、発表されたのが今回の「the modern house -或は灰色の風を無言で歩む幾人か」である。
          しかし、プロジェクトとして1年をかけてめぐった、ヘルシンキ、イナリ、南京、ソウル、沖縄の記録と記憶以外にも、遊びや(椅子や家といったも のからイメージされる)コミュニケーション・ツールの創造といった要素が重層的に重なり、インスタレーションとして独自性のある実験的な空間が出来上がっ たように思う。初日には、展示室の中央に四角形の巨大なシーソーが現われ、それを取り囲むように桟橋がつくられた。桟橋の対岸には、それぞれの都市の記録 としての映像作品が十数台のテレビモニターによって流された。桟橋の先にはcontact Gonzoがパフォーマンス中に自ら撮影する”first man narrative”の手法で撮られた写真、あるいは牧歌的な記念撮影風に撮られた写真が多量に貼られ、またその対岸には、散らかった雑多な部屋そのまま のような生活空間が冷蔵庫やテーブルとともに展開された。
          今回の発表で特徴的といえるのが、期間中におこなわれた数々のパフォーマンスで、それにより展示空間自体が変質していくという試みだった。特 に、2月14日におこなわれた「the vanishing paragraph and the clouds of hell 02“accidental aesthetica!!”」では、開館時間をフルに使い、ゲストを加えたメンバーたちが、全員でプランを練り、シーソーの上に家を造り、ご飯を食べ、 Gonzoをおこなった後、その家を倒壊させるという一連のパフォーマンスを淡々とやってのけた。木を切り、穴をあけて、打ち付ける。みんなで食事をして 遊んで壊す。それは本当に普通のことで、都市という名のシェルターに守られた現代人が忘れてしまった日々の営みを見ているような気分になった。(そしてそ れを作品として見ているなんて、なんて皮肉な状況!)今回の発表のタイトル「the modern house」というアンチテーゼが効いている。
          シーソーの上に残された倒れかけの家は、しばらくそのまま放置され、会期終了2日前には、すべてのものが撤去されはじめ、最終日にはファクシミリで送られてきたテキストやイメージが壁面を飾った。

          都市を巡り世界の仕組みを明らかにすることを標榜する一方で、彼らがこだわったのは椅子であり、家であり、生活するための道具だった。コンタクト =接触を繰り返し、身近に存在するものの大切さを知っているからこそ感じ得る痛み。コミュニケーション、コンタクトの本質は、痛みなのかもしれない。そし てそれが、世界の仕組みを形づくる原子のひとつであるのだろう。
          会期中、公式行事ではなかったが、contact Gonzoによるガイドで山に登った。contact Gonzoを知る上では非常に重要な要素を含んだイベントであったように思う。都市と自然の関係や身体に刻まれた痛みや爽快感は、contact Gonzoの殴りあうかのような行為の擬似体験になったのではないだろうか。見ているだけではわからない何かが垣間見られる瞬間が数多くあった。

          この1年間、コーディネーターとして常に意識していたのは、常識や慣例で彼らの発想の邪魔をしないこと、自由度を上げ選択肢を増やすことだった。 求められていた役割をまっとうできたかについては我ながら疑問が残るが、contact Gonzoとともに自由に世界をめぐる経験ができたことをうれしく思う。彼らは今後また新しい世界への扉を開いてくれるだろう。

          山本麻友美(アート・コーディネーター)


          審査員総評:

          今井祝雄「大阪発アートの未来形」

          大阪で生まれた画家・吉原治良の偉業をたたえ、1980年、平面作品による「吉原治良賞美術コンクール」が創設された。その折、ともに具体の会員だった村上三郎と私は、主催する大阪府立現代美術センターを訪ね、当時の高橋亨館長に、戦後の前衛美術を先駆けた具体美術協会(以下「具体」)のリーダー・吉原の名を冠した賞を平面に限定することはなじまない旨を申し入れた。そこで、同センターで行う実作審査には立体作品を含めると受け入れがスペース的に困難という事情で理解を求められ、あと村上と飲みに行ったことを思い出す。

          同賞には実験的な平面作品に「グタイ記念賞」も設けられていたが、村上や私にしてみれば師であった吉原イコール「具体」にほかならない。「人の真似をするな」「見たことないものをつくれ」の掛け声のもと、絵画に限らず、まだことばさえなかったパフォーマンスやインスタレーションなど形式に捉われない作品に挑戦した「具体」。私が加わった1960年半ば以降の〝後期具体〟は多くが絵画に収斂していったが、それより10年前の〝前期具体〟から野外展や舞台で〝紙破り〟のパフォーマンスなどを体現、その後も絵画に収まりきれなかった村上においてその思いはなおさらであっただろう。

          当初の絵画コンクールだった吉原賞を、「具体」結成以前の50歳ごろまで二科会を中心に活躍してきた一人の画家としての賞であったとすれば、一新したこのたびの「吉原治良賞記念アート・プロジェクト2008」は、戦後の現代アートを牽引した「具体」のリーダーとしての吉原に比重をおいた、もうひとつの吉原賞ということができる。

          展示プランとポートフォリオ公募による第1次選考で入選したcontact Gonzo(コンタクト・ゴンゾ)、パラモデル、藤井光、山本握微、夢をみる夢ら5人(組) の展覧会が2007年1月に現代美術センターで開かれ、同展のあとコーディネーに選ばれた山下智博、山本麻友美の2名が加わったその後4カ月の公開サテライト【studio】での交流・学習・発表などを経たあと、最終選考によってそれぞれ1名(組)に絞られたパフォーマンス・ユニット=contact Gonzoと山本麻友美のキュレーションで、大阪をはじめフィンランドほか海外での活動報告を含む最終発表展が先ほど現代美術センターで行われ、3年にわたる画期的な同プロジェクトは無事終了した。

          当初から私は審査員の一人として、21世紀の時点で「具体」の精神に照らせば、どんな表現がこの賞にふさわしいのかという問いを抱きながら、大阪での一部始終とはいえないまでも幾多の現場に立ち会った。なかでも小さいビルの一室【studio】における彼らの活動は、私ならずとも関係者にとって熱い日々であったに違いない。ここで繰り広げられたひと夏の時間は、大阪にあった「具体」の拠点「グタイピナコテカ」に似て、気ままなようでありながら真摯な空気に満ちていた。今日、現代アートへの理解はけっして十分とはいえないが、それでも吉原の時代に比べれば美術館をはじめ新聞社・NPOなどが開催する企画展が増え、マーケットも見据えた近年の動きを歓迎すべきなのかもしれない反面、多くの若い作家が受身的になりがちで、自主的な相互の研鑚と実験の場を築くことが少なくなっている現状を鑑みるとき、いわゆる〝いい仕事〟の品評会ではない「吉原治良賞記念アート・プロジェクト」が、ひとつのコンペティションを超えた、根源的かつ未来のアートを探ろうとする貴重な文化事業としての意義が際立ってくるのである。

          もとより文化事業とは咲いた花を摘みとるだけでなく、種を蒔き芽が実を結ぶ時間をかけた土壌づくりを忘れてはならない。それだけに、いま経済的に先行きの見えづらい大阪府立現代美術センターが立ち上げた同プロジェクトが初めの終りにならないことを願わずにはいられない。

          最後に〝初めて〟のこの長期プロジェクトの企画と運営に粘り強く働かれた関係各位の労をねぎらいたい。

          今井祝雄(美術家、成安造形大学教授)



          中塚宏行「吉原とグタイの精神はcontact Gonzoでどのように継承されたのか」
          「精神と物質の格闘」から「痛みと接触の格闘」へ

          「吉原治良賞美術コンクール」の実施主体が、現代美術センターの指定管理者制度の導入とともに、指定管理者事業に移行した2006年、この機会にコンクールの内容を大幅に刷新したいという声が関係者の間で大きくなった。同コンクールは、現代美術の平面作品を対象としたコンクールとして1980年から2004年までの24年間・隔年開催で全13回の歴史を重ねており、2003年の12回展のときに審査員を若いメンバーに世代交代してからまだ2回しか開催していなかったので、私は刷新案に対しては、当初よりかなり警戒感と懐疑をいだいて慎重になっていた。

          刷新への主張はさまざまであったが、私なりの解釈を加えて要約すると「現在の吉原治良賞美術コンクールは、平面の現代絵画コンクールであり、絵画作品という<もの>をホワイトキューブという空間で展示する美学的・視覚偏重の展覧会である。これではさまざまに複雑な思想的・形式的展開を見せている先端的な現代アートの状況は十分に反映できないし、その活性化や、新たな才能の発掘・育成もできない。したがって、いわゆる一回限りの絵画コンクールのような方式は廃して、3年間にわたるプロジェクト形式にして、アート・コーディネーター制度やスタジオ活動を導入し、継続的にさまざまに多角的な活動をしてゆくことによって、アーティストとそのアートが理解されるようにすることが必要である」ということであった。

          吉原治良の名前を冠することは、それがどのようなコンクールであれプロジェクトであれ、吉原治良という芸術家の精神を現代に継承することである。吉原と具体美術協会(以下、「具体」)の活動とその表現については、私もそれなりの知識を持ってはいたものの、吉原が生きた同じ時代、同じ場所、同じ空気、同じグループや団体での体験を共有していない我々にとって、その精神を今日の美術界に正確に継承・発展させることは、かなり難しい事といわねばならない。
          かつてのコンクールでは、その役割を具体の中心メンバーであった元永定正氏や、同時代の具体の目撃者であり理解者でもあった高橋亨氏らが補完してくれていた。その後は、具体の若い世代の研究者である、尾崎信一郎氏や平井章一氏、芦屋市立美術館の活動として具体の検証を推進していた河崎晃一氏らがその役割を担ってくれたともいえる。そして、今回の刷新にあっては、具体の活動時に最も若い世代の会員であり、現在もなお吉原治良と具体の精神の延長線上で活躍している今井祝雄氏に、その役割の一端を担ってもらうことになった。

          プロジェクトと呼ばれるアートの作法をどのように見るかについては様々な意見があろうが、私は、これは「美術作品という物質中心主義、そして美術館というホワイトキューブの展示空間からの脱却の思想」であると思っている。これは「アート・オブジェクト(物品)からの離脱志向」ともいえる。現代美術にはもともとそういった側面があったことも確かである。こうした、いわば非物質化ともいえる現象は、具体の活動が活発となっていった当時にも存在したが、無論まだ「プロジェクト」や「インスタレーション」といった言葉はなく、それらはアクション、ハプニング、イヴェントなどという名称で呼ばれ、当時において先鋭的な表現として展開していた。

          つまり、このたびの「吉原治良賞記念アート・プロジェクト」とは、アクション、ハプニング、イベントといった言葉であらわされていた、具体の非絵画的な側面を、「プロジェクト」という今日的な用語に置き換えて、全面的に押し出すことによって、吉原と具体の精神を今日によみがえらせたいというスタンスであるといえる。
          吉原治良と具体美術協会の活動は、とりわけその前半期でのアクションやハプニングにおいて異彩を放っていた。「ハトロン紙破り」しかり、「泥にいどむ」しかり、「絵具の瓶投げ」しかり、「フットペインティング」しかりである。そして全体として考えたとき「具体美術」にはプロジェクトという側面があったのも事実であり、その中で吉原はある意味、卓越したプロジェクトリーダーであり、アート・コーディネーターであり、プロデューサーであったといえよう。

          [studio]で開催された個々の活動にも、私は時間の許す限り現場に足を運び、レクチャーやダイアローグを中心におこなわれる熱心な活動の時間と空間を共有したが、トーク(話言葉)と映像言語を中心に繰り広げられるイベントには、率直に言って私自身は多少ともあきたらないものを感じている。トークや映像は、言葉を介在させるがゆえに、とっつきやすい側面がある一方で、時間の経過をともなう中で、表現が煮詰まらずに、言葉だけが、あるいは映像だけが垂れ流れさてしまう危険性がある。
          時間を物質に置き換えて表現してゆく手法、すなわち物質言語、いわば具体が様々なアクションの中でおこなった「物質との格闘」こそがもっと必要なのではないかという疑問を抱くのである。そういうと、contact Gonzoから「『痛みと接触』をともなう肉体こそ、物質の最たるものではないか」という反論がなされるかもしれないが。

          このたびの吉原治良賞記念アート・プロジェクトは、結果として、コンテンポラリー・ダンス、パフォーマンスの文脈にあるアーティスト・ユニットで、「痛みの哲学・接触の技法」をテーゼとするcontact Gonzo がグランプリを受賞した。このプロジェクトをきっかけに、国際的な舞台へと活躍の場を広げようとしている彼らのアートは、私の言う物質言語ではなく身体言語の範疇に属するものであろう。かつて吉原は「具体美術においては人間精神と物質とが対立したまま、握手している。物質は精神に同化しない。精神は物質を従属させない」と述べている。

          私がcontact Gonzoの今後に注視するのは、彼らの活動が記録されてゆくメディアの物質性についての再確認と留意、そして物質世界との距離感をどのように保つのかについてである。つまり、身体言語とそれを表象する様々なメディア(物質)の可能性と特性をどのように活かして、すぐれた表現へと高めてゆくのかが求められているのである。

          中塚宏行(大阪府立現代美術センター・主任研究員)


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